ウィル・スミスのアカデミーでの問題について改めて
こんばんは。
以前、ウィルスミスがアカデミー賞授賞式の場でコメディアンが妻の容姿を侮辱したとして殴った問題について話題になりました。
アメリカと日本でこの報道のされ方は違うと聞き、「なんでだろう?」と疑問に思い、いろいろな記事を読んでみました。
調べた結果、個人的に日米のヒーロー像の違いと日米の自身が迷惑している経験の差だと感じました。
アメリカでは、言葉には言葉、暴力には暴力と頭にきたから手が出るのは野蛮で幼稚な行いと思われているのに対し、日本では言葉の侮辱に対しても譲れない一線であれば暴力も辞さないという考えがあるように感じています。
昔のワールドカップのジダンの頭突きも家族の悪口に対してであり、同情の声が少なくなかったように思われます。
日本はある意味名誉を重んじているといえなくもないかもしれない。
また、日本人は家族や自分の悪口を言われた時に何もできなかった経験があることを起因して怒りを暴力という形ではあるものの表明できたウィルスミスに喝采もしくは同情したのかも知らないと感じました。
一方で、アメリカ人は少しの言い争いで直ぐに殴られた経験があることを起因してアカデミー賞授賞式の場であるにもかかわらず怒りを制御できずに暴力に訴えたウィルスミスに失望もしくは憤りを覚えたのかもしれないと感じました。
私としては暴力は許されるものではないものの、ウィルスミスに同情しましたし、日本では同じような意見の方が多かったように見受けられました。
しかし、当のアメリカではウィルスミスに対して厳しい声が多いということでした。
そこで、現地在住の日本人ジャーナリストの記事を見つけたのでここに引用します。
【ヽ´ん`】「なんだ。人生って、『面倒くさいの壁』をぶち破ればいいんだな」に心惹かれて
こんばんは。
ある日、まとめサイトをネットサーフィンをしていていいなぁと思った投稿でタブに残していたものをここに紹介します。
スーツのズボンがヨレヨレだから新しいの買おうかなーと思い続けてようやく今日紳士服店へ行った
店長ぽい人が「結構スーツくたびれてますね」「上下で柄が違うみたいですね」と指摘してくれた。
でもいろいろと聞いて冬はスーツ一着で回せることや夏は上着いらないからズボンだけ2着買って交互に来てたまに洗濯してローテーション組めばいいなど、有益な情報もいろいろ教えてもらった。
スーツ一着2万4千円で結構値は張ったけど、長さも計ってもらって今時の着丈の短い格好いいスーツを買えた。
なんだか人生が一歩前進した気分。
久しぶりに充実感のある1日だった
(デスクワークだから座ったときの圧迫感を確認するのを忘れたけどこれも学びになった。)
なんだ。行動って最初に面倒くさいって壁があるけど、それをぶち破れば人生パーッと視界が開けるんだな
面倒くさいって逆にチャンスなのかも。
これからどんどん「面倒くさいの壁」をぶち破っていこう
この文章を書いた人は所感を何気なく書いたと思うんですが、凄い素敵に書かれています。
自分も面倒くさがりでしてなくて、後になって後悔したり、やってみていうほど大変なことでもなく呆れたりとすることが多かったので。
何か物事をする時はえてして面倒臭く感じるものかもしれません。
でもそこで、何かすると得るものがある。だから彼は「面倒くさい」は逆にチャンスと書いたんでしょう。それに私も共感したんだと思います。
大きなもの(新しくスーツを新調する・髪を切りに行く・ジムやランニングをする・飲み会に行く・興味のあるイベントに行く)だけでなく
小さなもの(朝すぐに目覚める・支度をする・ご飯後に歯を磨く・お風呂に入る)
から意識的に始めてみようと思います。
まとめよう、まとめよう、と思いながらタブを残しながら未だあったのでようやくです。
ちなみにまだ読もうと思って残している他のタブは90近くあります。ブックマークに追加しているのも含めるともっと。とんでもない(笑)
「面倒くさいの壁」をぶち壊して読んで、まとめていけたらいいな。
ネット検索の落とし穴
こんにちは。
ネット検索はめちゃくちゃ便利。
もう覚える必要もなく、ググれば答えがでるように思われる社会です。
そんな中、ネット検索の落とし穴とも言える事例を見つけました。
ネットは上位検索に表示されることが非常に重要です。
上位検索されることは現実でいえば、銀座や表参道の目抜き通りに店を構えるようなものだ。
逆に、検索にヒットしないと沖ノ鳥島や稚内に店を出すようなもので人には見られない。
今回は炎上した企業がその検索結果を消した事例についてのお話でした。
blogにそのやり方を記されているのをみてホエーとなりました。
ネット検索が真実でなく、そこにも人の恣意が反映されることを頭にいれて使わないといけないですね。
このひろゆき氏の画像が思い浮かびました(笑)
元blogは添付しておくので見てもらえたら。
「同志少女よ、敵を撃て」読んでの感想
こんばんは。
「同志少女よ、敵を撃て」を先週前に読み終えました。
感想を残しておきたく思い、読書メーターに書こうとしてましたがパスワードがわからず断念。
よくよく考えたらblogでもいいやと思い、ここに書くことにします。
大まかな筋としては、第二次世界大戦の独ソ戦を背景にソ連に住む少女ドイツ侵略によって母や故郷を失う。帰る家もなくなった所をソ連軍人の女性尉官が彼女を拾う。そして、自身の母を殺したドイツに対して、ソ連の方針として村を焼き払った女性尉官に対して復讐心を胸に秘め狙撃兵として戦っていく。
思い出しながら書くとこんな感じです。
プロが書いたあらすじの方がわかりやすいかな。
手に取った背景としては、現在進行しているロシアによるウクライナ侵攻と本屋大賞を受賞したことの2点です。
前に勧められた時は少女と戦争という言葉が結びつかず、ライトノベル的なものと自分で判断して断っていました。
しかし、書いたようにウクライナ侵攻のニュースがあり、また本屋大賞受賞と著者のインタビューを読み戦争のリアルさが評判と聞き興味を持ちました。
結論から言うと、面白いです。
タイトルから敬遠するのはもったいない。これはよくあるライトノベル的な話ではありません。確かに、登場人物のキャラ付けには漫画チックなところもあります。
しかし、それはある種の読みやすさにつながっておりキャラに愛着が持てるようになると思います。
戦争小説でありながら、誤解を招く表現かもしれませんが娯楽小説として読みやすくなる工夫がされていると思います。
なぜなら450ページという厚さにもかかわらず、1週間ほどで読み切れましたから。
一番の驚きは当時のソ連には女性狙撃兵士が実在していたことでした。
知らなかった。この点でも読んだ価値がありました。
日本も第二次世界大戦参戦国として太平洋戦争については学ぶし、目にする機会は多いですが独ソ戦やヨーロッパについてはなかなか知らないですね。
復讐をテーマに主人公の成長譚であり、非常に読みやすかったです。
また、狙撃のシーンについては息をのむような描写で文字通り目が離せませんでした。
女性と戦争のかかわりについてフィクションの中で書きだしており、著者の努力が見られます。
ただ戦争が勇ましいものであるというだけでなく、また悲惨なものである1面を書き出している。
ドイツ・ソ連、軍人・非軍人、男・女。それぞれの立場から多面的に書かれており特に女性兵士という面の視点は新しかった。
ある意味戦争におけるフェミニズムの小説かもしれない。
参考文献にあるように、ノーベル賞作家アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』から大きな影響を受けているようなのでこちらの本についても読んでみたいと思っています。
うつは甘えとかフワッとしたものではなく、疲労によるウイルスの活性化によって引き起こされるもの!?
のこんにちは。
趣味のネットサーフィンをしていて、面白記事をタブで残していたのでここに記す。
私は専門外もいいとこなので、タイトルは語弊がある可能性は高いです。
このような研究がされていてうつは甘えや本人の資質ということにされなくなり、治療に活かされるようになるといいと思います。
個人個人に向いている、ストレス耐性や疲労からの回復に着目して病気になる前に疲労を軽減していくようにすることが大切だと感じました。
近藤 一博
東京慈恵会医科大学ウイルス学講座 教授
のイベント講座の中身である。概要は以下の通り、要旨についても丸々引用する。
「疲労」はストレスの蓄積によって生体機能に障害が生じた状態を、「疲労感」は疲労を脳が主観的に定量する感覚を指します。 「疲労感」は、報酬や、やり甲斐などでマスクされ易いため、「疲労感」のみで「疲労」を定量しようとすると、様々な問題が生じます。 そこで、「疲労」を客観的に測定するために、疲労によって変化する生体のバイオマーカーを発見し、これを利用して疲労を測定する様々な方法が検討されています。
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